例えば、「高倉健には男の美学が感じられる」というせりふがすんなり通るように、「美学」という言葉には昭和までの時代が似合う。
平成の時代になって、「美学」という言葉は、一般的に交わされる会話から消え去っていったような気がする。
自分にとっての美しさを定め、それを体現すべく生きること。そのように生きようとすると、大抵の場合、ストイックな生き方になる。「美学」という言葉にふさわしい人として、すぐに浮かぶのが高倉健である所以である。
だが、今後、「美学」という言葉がもう一度用いられるようになったら、おそらくそれは、もっと広いイメージにつながっていくだろう。
それは、「美学」という言葉が、一度死んだからである。