gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

辻立ち

今日、ある駅で若い政治家(志望の方?)が辻立ちをしていた。

立ち止まって聞いている人は誰もいなかった。拡声器も具合が悪いのか、声がこもって聞き取りづらかった。が、聞こえたとしても、なんでこの人の話を聞かなければならないか、理由が見つからない。正直言って、パフォーマンス精神のかけらもない。

昨日も書いたが、話す内容よりも、誰が話しているかの方が重要であることが多いのが現実である。何かで有名になってから、辻立ちした方が効果的だ。そんな回り道をする時間の余裕がなければ、せめてパフォーマンスの勉強をした方がよいだろう。

ヒットラーはそういう意味では天才的だったらしい。彼は、たくさんの人に話を聞いてもらうことには、誰よりも成功した政治家だった。ドイツ国民は彼に熱狂した。


このことについて、どう思う?


「1対多」という関係性には、居心地の悪さを感じる。一見、「1対多」に見えても、実は「1対1」の集合であるようでなければ、本当の価値はないように思う。

あの若い政治家は、「1対1」を大事に重ねていける人だろうか。