gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 この自由な世界で

2007年。ケン・ローチ監督。

主人公の女性は、何度も会社を変わっている間に、いつの間にか借金を抱えた33歳のシングルマザー。職業斡旋の会社を不当に解雇されたのを機に、友人と二人で職業斡旋の会社を自ら立ち上げる。

会社を立ち上げた動機は、「自分の生活を安定させたい」ことと、「自分をこのように扱ってきた人間たち(社会)に自分の能力を思い知らせてやりたい」という気持ちだろう。

その動機は切実ではあるが、会社を立ち上げるにはたぶん軽すぎるのだ。


仕事を欲する弱者に仕事を与える救世主は、逆に弱者を食いものにする鬼畜へと変貌していく。それは、彼女個人の資質の問題だろうか?この問いが重くのしかかってくる。

自分を、そして自分の家族を守るために、他人の痛みを見ないようにする。そのことを個人の資質として、責めることができるだろうか?

もしもどこかに余裕のある者がいて、余裕があるにもかかわらず、弱者を食いものにするのであれば、話は簡単だ。そいつが悪い。

しかし、今、誰に余裕があるというのだ?

誰もがぎりぎりの生活の中で、会社を興すような人間もみな「自分が生きるために」としか考えられないとき、社会はどんどん貧しくなっていくより他はない。

他人事ではない。

河村名古屋市長は「自分の生活を心配する人間は政治家になる資格がない」というような意味のことを言ったと思う。会社の社長もそうだ、と言うかもしれない。

彼の発言を一概に否定はしないが、自分の生活を心配しつつも、他人の生活を支えるために動ける人間はいるはずだ、と思う。今こそ社会に必要なのは、自分の家族を守ることと他人の家族を守ることを同時に目的とすることができる人間だと思う。


それを可能にするのは、想像力だ。そして、創造力だ。言葉で表すことができない感性の力を、21世紀の世の中は必要としていると思う。取り換えのきく人間をいくらつくりだしても社会は貧しくなるばかりだ。

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