gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

歩くということ

「歩く」シリーズの3日目である。

小学1年生の時、母親に手をひかれ、歩道橋の階段を上がろうとした瞬間に、突然、歩き方がわからなくなってしまったことがある。

体が動かなくなったわけではない。ただ、それまで両足が「何も考えなくとも動いていた」ということに急に違和感を感じてしまったのである。

あわてて、はい右、はい左、というマニュアルモードに切り替えたら、動きがロボットみたいになってしまって、右手と右足が一緒に出てしまったような記憶がある。とにかく、突然、「歩く」という行動が難しいことになってしまったのである。

母親はそのことを憶えているだろうか。私はこれを書きながら、ちょっと発見をしたような気持ちになって驚いている。この経験は、自分にとって大きな経験だったのだ、と。

その後、私はまた、考えなくとも歩けるようになった。ただし、歩き方が変になった。どこかに、マニュアルモードが残ってしまったのだ。もう一人の自分が、どこかで、はい右、はい左、とささやいていた。

そして、このぎこちなさは、知らないうちに私を傷つけていた。友達の前を歩くことが恥ずかしかった。私は、できるだけ自然に歩こうとして、ずっと自分の脳が出す命令と闘っていたのだ、ということを今初めて認識したのである。

今、美しい空間をつくるために、まさに、できるだけ自然につくろうとして、自分の脳が出す命令と闘っている。

こんなところにもルーツはあった。