gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

能登半島地震で壊れたモノを未来へ活かすプロジェクト 5 能登半島地震で壊れた建物の関係者をご紹介ください

以上のように、地震で壊れたものを集めて、空間づくりの素材として使用し、未来へ受け継いでいこうと活動を開始しました。

個人的にも、2016年に起きた熊本地震で母が一人で住む実家が半壊になったこともあり、被害の状況のビデオを見ては心を痛めていました。

熊本地震のときには築100年以上の父の実家が全壊したのですが、最初は母が普段の生活を取り戻すことに必死で、壊れたものを少しでも早く片付けてしまいたい、という気持ちで精一杯だったことが思い出されます。ようやく落ち着いて、壊れたモノから使えるものを探して取りに行かねば、と動いたのは既に全てが片付けられてしまった後でした。

そこに流れた時間の記憶を受け継ぐことができるモノはもう何もない。そのことを痛感しました。

きっと、能登で被災された方々の中にも、少し時間が経った後で、ぼくと同じような思いを抱く人がたくさんいらっしゃると思います。

だからこそ、今のタイミングでお伝えしたいのです。

寄付控除の金額は数万円程度に過ぎない場合が多いです。大きな助けにはならないかもしれません。でも、なにより、そのまま片付けられて全てを失ってしまう前に、これまでの時間を記憶した貴重な素材を寄付していただくことによって、どこかの町でその記憶が受け継がれていく、ということが被災者の方々のこれからの人生をほんの少しでも豊かにできるかもしれない、という思いがあります。

能登半島地震で壊れた建物などの関係者をご存じの方は、ぜひぼくたちにご紹介ください。
どうぞ、よろしくお願いいたします。長文をお読みいただき、感謝いたします。

 

能登半島地震で壊れたモノを未来へ活かすプロジェクト 4 活動内容(予定)

まずは、ボランティア活動を通じて現地にコンタクトすることから始める。現在能登半島地震のボランティア活動は大きく分けて自治体が個人の活動をまとめてコーディネートする場合とNPOや地域と学生などが自治体と交渉しボランティア活動をする場合があると思われる。我々が活動するのは前者である。

山崎誠がボランティアとして働きながら、現地の様子を肌で感じ、その活動の中で素材を提供してくれる人を探すことになる。個人の被災した家屋から、公共的な建物まで、ストーリーを受け継ぐことができるように、できる限り持ち主や関わった方々のお話しを伺うことを大切にする。


山崎誠 奥能登ベースキャンプ参加 1回目
3月20日(水) 自宅を朝出発。(現地まで7〜8時間となる)
         車中泊
  21日(木) 7時頃集合場所よりボランティアバスで出発。
            作業終了後ボラバスで集合場所に戻り解散。
            車中泊
  22日(金)    2日目と同様
  23日(土)    朝現地を出発。夕方帰宅。 

山崎誠の第1回のベースキャンプ参加終了後、現地の様子や素材提供者の情報などの報告を受け、今後の進め方、素材の回収方法や他のスタッフの現地入りなどの検討を行う予定である。

能登半島地震で壊れたモノを未来へ活かすプロジェクト 3 能登半島にSOTOCHIKUを活かす

今、ぼくたちは、能登半島地震で壊れた建物から、ソトチク素材を集めて新しい空間に取り込むことができないか、と活動を始めている。

その先頭に立つ山崎誠は、13年前の東日本大震災で復興ボランティアとして2年間、東京から毎月40棟しかない海辺の小さな集落へ通い続けた経験を持つ。山崎は次のように語る。

「生活を再建するには、まず瓦礫を処分し、新しい住居や店舗、職場など暮らしを支える場を建築しなくてはならない。地震のような災害があった場合、地域全体が被災するため、再建した後は全く別の町や集落になってしなう場合が多いんです。13年前の東北大震災の復興では津波が襲ったある地域は、地域全体を盛り土で10m以上嵩上げし、松林があった美しい海岸は城壁のような堤防が作られ、震災前の面影は全くなくなりました。ぼくが通っていた、リアス式海岸にある小さな集落では復興を諦めるしかなく殆ど住人の姿はなくなりました。」

通常流れる時間は少しずつ地域の風景を変化させていく。その長い時間の連続性の中で切り取られた一瞬には、尊い人間的なものがたくさん含みこまれている。しかし、突然大きな災害が起こることで、その連続性を断絶し、初期化されたように人間的なものが剥奪されてしまう。風景を新しく上書きして、それまで確実にあった歴史や人のストーリーが消えてしまう。

そんな地域から壊れたモノを寄付で集めて、新しい建築に取り込むことは、連続性を未来へ受け継ぎ、継続していくことではないか。そして、それを受け継いだ場所では、想定[外]の構[築]が成立し、新しい発見とともに文化が生み出されていく可能性がないだろうか。

 

能登半島地震で壊れたモノを未来へ活かすプロジェクト 2 SOTOCHIKUプロジェクト

ぼくらグリッドフレームは、「風雨や日光に晒されたり、生命活動の場にあり続けることで時間や生命の営みを記憶した素材を寄付で集めて、新しい空間づくりの素材として生かす」という試みを5年ほど前から始め、そのプロジェクトをSOTOCHIKU(ソトチク)と名付けた。

これから解体される建物の中で新しい空間に活かせるとぼくらが判断した部分をソトチク素材として寄付していただく。ぼくらが伺って、できるだけ丁寧に採取し、材料代を算定する。その60%をNPOへ寄付すると、寄付者は寄付金の約半分の寄付控除を受けることができる。これまで千葉県鋸南町や埼玉県上里町などで寄付を受けて、東京都内などさまざまな土地で10件以上のアバンギャルドを目指した空間を成立させてきた。

https://sotochiku.com

ソトチクとは、想定[外]の構[築]であり、予定通りにはいかないモノ・コトをものつくりに取り込むことである。現代社会はカタログから材料を選ぶことにより、新しい発見のないものをつくり続けていることに対して一石を投じたい気持ちで始めたことだ。

 

能登半島地震で壊れたモノを未来へ活かすプロジェクト 1 能登半島地震の現況

令和6年1月1日に発生した能登半島地震では家屋の倒壊、火災、津波、土砂崩れによる交通の寸断、海底の隆起など多岐な災害が発生し2ヶ月以上経った現在でも復旧が進んでいない。

能登地方は半島という地理条件の下、震源地に近い半島先端部への交通手段は寸断し、古い街並みにある多くの家屋が倒壊した。特に過疎化・高齢化が進んだ奥能登地方では古き良き日本の原風景の中で穏やかな日々の生活が営まれていたが、突然の地震によって日常は失われ多くの死傷者が出た。

被災者の数は3月7日現在で、1次避難、1.5次避難、2次避難を合わせて1.4万人以上、被災した家屋は4.6万棟以上。他にも道路、農地、港湾施設や電気、水道、ガス等々インフラの受けたダメージは復興までに十年は要すると言われている。現在も復旧がほとんど進んでおらず、珠洲市はも水道などのインフラが全域に渡り復旧していない。

地震の瞬間まで穏やかな日常があった家は、そこに住んでいた人達にとって、それぞれのストーリーが染み込んだ大切な時間の記憶そのものである。テレビのニュースで目の当たりにする、倒壊した家屋の前で呆然とした様子でインタビューを受ける被災者や倒壊の危険性を示す張り紙のある家に戻り暮らし続ける方々。

この方々に対して、ぼくらに何ができるだろう、と自問せざるを得ない。

 

アフリカでの心的配置

ぼくは20歳でアフリカのケニアタンザニアを旅して、何を得たのだろうか?

 

アフリカのアートに魅了されている、という方にそのときに経験した何を伝えようか、と考えたときに、自分なりに発見があった。

 

ぼくは日本にいるときに、日本の暮らしと最もイメージがかけ離れている国として、インドと迷った末に、アフリカのケニアを選んだ。

 

柄谷行人の「近代日本文学の起源」に「日本古典文学には日本現代文学にある心の透視図法的配置がなされていないために感情移入ができない」ということが書いてあったが、アフリカもそのような心的配置が現代の日本と違う、ということがあるのかもしれない。

 

これを読んだのは1990年代だったが、いつのまにか透視図法的配置からかなり自由に解放されたかもしれない。

 

ぼくが思い返すと、アフリカの旅でぼくはまさに日本とは別の心的配置の空間を経験したといえるのかもしれない。

 

ならば、アフリカンアートには、その心的配置が顕著に表れていることだろう。

 

セピア色の正体

アーティストのYellowYellowさんが、「き成りと黄変という言葉の違いは何か?」という問題に言及された。

 

そして、「黄変という言葉は、建築業界では使いますか?」と。

 

実は、ぼくは一般にはネガティブにみられる「黄変する塗料」をずっと前から求めていたのだ。

 

以下は、ぼくの返答。

 

建築業界で黄変という言葉を聞いたことはありませんが、私はセピア色に変わるとか、昔は赤い車が黄変してたこととか、魅力的な経年変化としてとても気になっていました。

 

塗料屋さんに聞いても何も説明してくれなかったのですが、黄変をググると、黄変はイカ墨が紫外線に当たって薄くなることを言う、とか興味深いことを書いてありますね。

 

セピアとはイカ墨のことだとか。そうか、イカ墨インクを使っていたかどうかわかりませんが、とにかく黒成分が紫外線に反応して薄くなると黄変が起こると考えてよさそうですね。

 

き成りも、もとは黄成なんでしょうかね。時間が経つと、すべては黄色に変わっていくなんて、世界はYellowさんのためにあるかのようですねw

 

ぼくにとって、とても貴重な問題提起だった。Yellowさんに感謝。

 

ぼくは黄変する塗料をつくれるかもしれない。

 

祭り

祭りとは、共同体の中で溜まった様々なネガティブなものを一斉に発散して、また正常な日常を始める、というサイクルを生み出すための重要な機能を果たしている、というのが一般的な理解だと思う。

 

外部に出会う一瞬をつくる、ということだ。

 

これはABCDでいえば、CAの毎日に不満が溜まって、一瞬だけBDへ移行し不満を発散し、次の日からまた新たなCAの毎日に入る、ということか?

 

いや昭和の時代くらいまでは、CAの毎日の中でも結構逸脱が許されていて、ガス抜きが行われていたように思う。

 

だが、どんどん窮屈な世の中になってきて、小さな逸脱行動も許されなくなってきた。もっとも、小さな逸脱行動と思われていたことの中に、重大な悪影響を生むものが混じっていたことが明らかになった、ともいえる。

 

それで、紛らわしいことは全てできなくなった。ポジティブかもしれない逸脱行動も、みんな批判を恐れてできなくなった。

 

今、ぼくらはそんな世の中に生きている。

 

公式の祭りの中にしか、もう逸脱行動は許されないのかもしれない。でも、それで人間社会を再生するなんてできやしない。

 

ぼくらは、外部に出会うために私的な祭りをたくさんつくっていかなくてはならない。

 

ぼくの周りには、それをライフワークとしている人がだくさんいる。

 

SOTOCHIKUはいつでも好きなときに外部に出会えるための空間となることをめざしている。

 

美容室ecruの制作を終えて

「工場の廃墟をつくってください」というご依頼のリノベーションでした。「真っ白な壁では汚さないように動かねばならないので、スタイリストがのびのびと動けないのです」と。

「廃墟」をつくるとは、どういうことか?時間が為した仕事を人間がどのように為すことができるか?ずっと考えているうちにたどり着いたのは、アーティストのアトリエでした。描いては、塗りつぶす。壁にその行為を繰り返すうちに、以前描いたものは、どんどん壁の奥に遠ざかっていく。そして、以前描いたものが消えてしまう寸前に、かすかな傷みをを伴って時間が刻まれるのではないか?

それはここ数日で為された作業であったとしても、最初に描いた線は、驚いたことにもうずいぶん遠い昔に描かれたように感じられる。

この行為によって、廃墟の時間性と同質の何かを達成できたか?それは訪れる人に判断してもらうしかありません。スタイリストの方々はのびのびと動ける空間になったか、という視点と共に、何かを感じていただければうれしいです。

 

美容室ecruの壁

 

テーマは「廃墟」。元々広がっていた白い漆喰壁に廃墟の時間性を表すために、アーティストのアトリエとして、壁に線を描いては、薄い白で塗りつぶす、という行為を最初に描いた線が消えるまで繰り返しました。

そして、その表面にさらに重ねるものとして、埼玉県上里町のスサ入りの土壁をバラバラに壊してほぐしたものを、壁に塗り付けました。



漫画を描くこと、それをドラマ化すること

漫画を描くことと、それをドラマ化することは、全く性質が違う。

漫画のつくり手は原則として一人の作家であり、ドラマのつくり手はプロデューサー、脚本家、撮影監督、俳優をはじめとして大勢が関わってくる。

大勢でつくる作品には、それぞれの人の個性や事情が全て絡んでくるし、個々の相関関係も作品に影響してくる。

だから、それぞれの作品に同じものを求めること自体ナンセンスで、それぞれが独立した作品だ、と考えるべきだ。

テレビ局は安易に漫画の作品性を引き継ぐという約束をしてはならないし、漫画家はその作品性を手放すことなくドラマ化を許してはならない。 

漫画という作品が元になって、ドラマという全く別の新しい作品が生まれるのだ。漫画はドラマをつくるための大きなインスピレーションの源にすぎないことだって、ありうるだろう。

そこに同じタイトルが使用されるならば、お互いの「つくり手としての信頼関係」が前提とならねばならない。

信頼関係とは、一般性に属するものではない。つまり、契約書に書かれていることとして保証される類いのことではない。

お互いにとりかえの効かない人間同士で一対一で向き合う関係、つまり単独性に属するものだ。

そのうえで、お互いが創造を存分に愉しむことによって、質の高いプロジェクトが成立する。

テレビ局はドラマ化を自由に進められるように、原作者との間に「つくり手としての信頼関係」こそを誠心誠意を尽くして構築すべきではないか。

そうすれば、漫画家もドラマの制作者たちも、お互いの創造を存分に愉しむ結果を共有できたのではないだろうか。

同じことは漫画のドラマ化の問題に限らず、「誰かが創造した世界を他の誰かによって違う世界に実現する場合」ならば、全ての分野について言えることだ、と思っている。

もちろん、それはクライアントの構想を実空間として実現する「空間づくり」というぼくたちの仕事にもあてはまる。

クライアントは構想を創造し、ぼくらはそのための空間を創造する。そして、お互いの創造を存分に愉しめるよう全力を尽くす。

誰もが自分の持ち場で創造に専念し、それを存分に愉しめる。そんな社会をつくりたい。

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SOTOCHIKUとは、想定<外>の構<築>です。他者によって全力でつくられた結果には、必ず想定外が紛れ込み、それこそが世の中を更新していく原動力になり得るとぼくは考えています。

 

(「セクシー田中さん」のドラマ化問題について SOTOCHIKU通信vol3から抜粋)

原田真二のライブ

原田真二が出演するライブへ家族3人で行ってきた。

 

彼は能登半島地震へチャリティコンサートを開くために駆け付ける予定だという。被災された方を元気づけるために、自分のできることを精一杯やる。

 

ぼくたちグリッドフレームも、被災された方を元気づけるために、能登半島地震で壊れたものを集めて、SOTOCHIKU素材として受け継いでいく。

 

これがぼくたちにできる精一杯のことだ。

 

好きな曲を聴きながら、そのことを噛みしめることができた。