ぼくは20歳でアフリカのケニア・タンザニアを旅して、何を得たのだろうか?
アフリカのアートに魅了されている、という方にそのときに経験した何を伝えようか、と考えたときに、自分なりに発見があった。
ぼくは日本にいるときに、日本の暮らしと最もイメージがかけ離れている国として、インドと迷った末に、アフリカのケニアを選んだ。
柄谷行人の「近代日本文学の起源」に「日本古典文学には日本現代文学にある心の透視図法的配置がなされていないために感情移入ができない」ということが書いてあったが、アフリカもそのような心的配置が現代の日本と違う、ということがあるのかもしれない。
これを読んだのは1990年代だったが、いつのまにか透視図法的配置からかなり自由に解放されたかもしれない。
ぼくが思い返すと、アフリカの旅でぼくはまさに日本とは別の心的配置の空間を経験したといえるのかもしれない。
ならば、アフリカンアートには、その心的配置が顕著に表れていることだろう。