gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

祭り

祭りとは、共同体の中で溜まった様々なネガティブなものを一斉に発散して、また正常な日常を始める、というサイクルを生み出すための重要な機能を果たしている、というのが一般的な理解だと思う。

 

外部に出会う一瞬をつくる、ということだ。

 

これはABCDでいえば、CAの毎日に不満が溜まって、一瞬だけBDへ移行し不満を発散し、次の日からまた新たなCAの毎日に入る、ということか?

 

いや昭和の時代くらいまでは、CAの毎日の中でも結構逸脱が許されていて、ガス抜きが行われていたように思う。

 

だが、どんどん窮屈な世の中になってきて、小さな逸脱行動も許されなくなってきた。もっとも、小さな逸脱行動と思われていたことの中に、重大な悪影響を生むものが混じっていたことが明らかになった、ともいえる。

 

それで、紛らわしいことは全てできなくなった。ポジティブかもしれない逸脱行動も、みんな批判を恐れてできなくなった。

 

今、ぼくらはそんな世の中に生きている。

 

公式の祭りの中にしか、もう逸脱行動は許されないのかもしれない。でも、それで人間社会を再生するなんてできやしない。

 

ぼくらは、外部に出会うために私的な祭りをたくさんつくっていかなくてはならない。

 

ぼくの周りには、それをライフワークとしている人がだくさんいる。

 

SOTOCHIKUはいつでも好きなときに外部に出会えるための空間となることをめざしている。