gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

スタッフたちの夢

スタッフが望んでいる未来について、思いを馳せてみる。

 

鉄を材料とした空間造作は自分の体よりも大きなものをつくることも多いが、本当は軽くて手の込んだものをじっくりとつくるのが好き、というスタッフもいる。

 

そんな彼らが重くて危険を伴う大きなものをつくり続けているのは、さぞ大変だろう。

 

改めて感謝している。

 

今後も、重機を使わずにできるギリギリのものをつくり続けていくのか?

 

考えていかなければならない。

 

 

 

 

 

日本軍兵士はなぜ強かったか

タイトルは、上島嘉郎という方のメールマガジンからだ。

 

第二次世界大戦において緒戦は日本軍は米英を圧倒した。日本軍が強かったのは、上層部の作戦は抽象的で粗雑だったが、「戦闘部隊の練達した戦闘技量、瞬時における迅速果敢な行動展開」が優れていたからだ、というのが答えとして書いてある。

 

会社に置き換えて考えてみる。

 

会社がうまくいっていない間は、まさにぼくという上層部の作戦が抽象的で粗雑なために、うまくいかない、と言われても仕方がないだろう。第一線の制作技量がとても優れていたから、なんとか生き永らえた、と言うべきだ。

 

だが、「現場を知らないエリートが無謀な作戦を立て、第一線からの作戦変更は大本営ではほとんど拒否される」という愚は生じない。

 

なぜなら、ぼく自身は、全体の構想を描き、たくさんの人を使って、その通りに事を遂行していく、という能力には欠けている、という自覚があるからだ。人はあまりにも多様なので、ぼくの考えで全体を動かすことに無理があるのだ。

 

全体の構想、統率が得意だ、という人は確かにいるが、ぼくはその下に入りたいと思わない。

 

それでは、ぼくの立場で必要なことはなにか?スタッフの立場で必要なことはなにか?

 

立場主義を批判する本を読んだ後では、このような問題の立て方も気を付けなければならない、という気持ちになる。

 

立場とは、つまり「括弧入れだ」と考えればよいのではないか?シミュレーションの道具だ、と。

 

「らしさ」もそうだ。括弧は、いつでも外せるものでなければならない。

 

ぼくが会社を興して、彼らがそこへ入ってきたのだから、もちろんぼくが何をしたくてこの会社をやっているか、を知ってもらうのは大事だ。

 

同時に、ぼくも制作者の第一線としてぼくの能力を生かし続けることがなによりも大切だ。

 

結局は、制作者としての自分に、この括弧入れ外しの作業が深くかかわっていることに気づく。

 

 

 

 

映画 アメリカンスナイパー

2014年。クリント・イーストウッド監督。

 

イラク戦争で160人を狙撃した実在の人物クリス・カイルの生涯。

 

対テロリストの戦いの現場をイメージさせてくれる映画だ。テロリストを一掃することなどできないし、それが弱い国の人々の希望だ。

 

アメリカがベトナム以来、延々と繰り返してきたこのような戦争には何の意味があるのか?

 

PTSDという病はいつまで世界に存在し続けるのか?

 

いつも導き出されるのは、テロリストも兵士もいない世の中にするために、世界から貧困をなくしていく努力を、ぼくらは全力で進めなければならない、というあたりまえの答えだけだ。

 

そう、中村哲さんのように。

 

暴力がなくなるためには、それしかない。

 

 

泰阜村

やすおかむら、と読む。長野県の山村。

 

1930年代に、満洲へ半ば強制的に移民されられた「満蒙開拓青少年義勇軍」。

 

泰阜村からも1144人が送られた。農民として、そして、ソ連が攻めてきたときの人間の盾として。実際に、終戦間近にソ連が攻めてきたときには、武器弾薬もなく、男たちはそのままソ連へ抑留されて、多くが命を落とした。

 

残された女・子供には、逃げるように命令が来る。これも、歩いて逃げるしかない中、途中で日本は敗戦。それを知らされもせず、支配されていた中国人に襲撃されたりしながら、なんとか街にたどり着くと、関東軍が迎えてくれるのではなく、ソ連軍に捕まり収容所へ。そこでも多くが命を落とす。

 

その中で、中国人の家庭に引き取られた日本人の子供たちが、残留孤児。

 

終戦時、満洲にいた150万人の日本人。多くは1948年までに帰国したが、中国の家庭を離れられなかった人たちなどは帰国できなかった。

 

中国との国交が正常化されてからも、国は帰国支援に積極的ではなく、泰阜村独自で帰国支援を進め、70人以上が帰国。

 

「最後の帰国は2009年。終戦時9歳だった子供は、73歳になっていました。」(「満洲暴走 隠された構造」安富歩」

 

なにげなく通り過ぎてしまう山村の風景にも、こんな歴史を背景とした生活がある。

 

 

立場主義の起源

(「満洲暴走 隠された構造」安富歩)

 

「家」を守るために、戦争にいく。徴兵されて死んでも、そのことで子孫は優遇されていく。

 

室町時代から江戸時代までは、それまでの「氏」に変わって、「家」の時代だという。

 

だが、明治から昭和にかけて、家が崩壊していく。その本質は、徴兵制で多くの兵を集めるために、「軍役の負担が家単位から個人単位になった」からだという。

 

では、なんのために戦争へいくのか?家ではなく、別のイデオロギー装置が必要になって、お国のために死ぬ、というイデオロギーがつくられた。

 

安富歩は、この「家」の代わりに、個人主義ではなく「立場」というものが析出されてきたのではないか、と考えている。

 

「自分は本当はこう思うけれど、この立場ではどうにもならない」というセリフが臆面もなく飛び交う社会で、苛酷な「とりかえのきく世界」はつくられている。

 

 

 

 

満州の歴史

森に覆われた大地が、20年や30年のうちに一面の大豆畑に変えられた。

 

大日本帝国がこれを満州で始めた。

 

今、アマゾンの森で起こっていることと同じだ。

 

20世紀に始まったこの変化は、現在に至っても止まらず、地球の自然を破壊し続けている。

 

満州の歴史は、グローバルに拡大した資本主義の起源とも言える。

 

現在も、そのときと同じ論理によって、世界は悪循環を止めることができずにいる。

 

何が根本的な問題なのか?

 

満州暴走 隠された構造」の著者・安富歩氏は、日本の「立場主義」にそれを見出している。

 

「立場主義」とは、ぼくが書いている「とりかえのきく世界」をつくり出しているものでもある。人はその中では、機械の部品にすぎないのだ。

 

そんなこと、やらなければよいのだ。と思うのに必死でやっているのを、ぼくたちはどうやったら止めることができるか?

 

もちろん、日本だけの問題ではない。

 

 

爬虫類と両生類

南伊豆には、爬虫類の動物園izooとカエルの動物園kawazooがある。

 

どちらもほとんど動かない動物を見ることになるが、眠くなることはない。

 

火星人など、宇宙人を描かれるときは、爬虫類的な外観をしていることが多い。

 

人間がもっとも人間から遠い生き物を思い浮かべるとき、浮かぶのは爬虫類などの姿なのだろう。つまり、外部的なイメージなのだ。

 

やはり哺乳類には、近さや温かさを感じるのだ。

 

だが、その生物たちの持つ「遠さ」や「冷たさ」が心地よいときがある。

 

蛇などをペットとして飼う人は、そこに魅力を感じているのだろう。

 

だが、外部的なイメージといっても、事前に思い浮かべられる限りは、やはり内部に過ぎない。

 

その点、カエルの姿は事前のイメージを超えるものも多く、真に外部的だったようだ。

 

 

 

金谷旅館

1867年(慶応3年)創業の下田・金谷旅館の千人風呂に入ってきた。

 

プールのように深くて縦長の湯舟が木でつくられており、薄暗い空間は湯煙のために遠くはかすんで見えない。

 

元来は混浴だそうで、女湯とは深い水路で結ばれていて、今も女湯から湯につかったまま、この風呂までやってくる女性もいる。

 

かつての日本には、こんな趣のある空間がたくさんあったのだろう。

 

古さや暗さが与えてくれるやすらぎ。

 

 

学びたいという衝動

ほとんど衝動と呼んでもいいような強い気持ちで知を得ようとした留学時代。

 

30歳前後でアメリカで建築を学んだぼくは、そのときにできることは全部やった、という自負がある。

 

そんな時間を過ごすことができた後で、日本での大学生時代を振り返ると、自分に合った学部をどうしてもっと真剣に探さなかったのだろう、と不思議に思う。

 

世間的に評価の高い大学に入ることに意味がなかったとは言わない。だが、そこで学ぶ内容に対してほとんど関心を持てなかったことは愚かとしか言えない。

 

大学に行きたいのであれば、高校までにやるべきことは、何を学びたいか、を徹底的に考えることだろう。

 

とはいえ、大学時代の価値は学問だけではない。休みの度に海外を一人旅したことや、夜毎バーに通ったことが、むしろ今の自分の血肉となっている。

 

無駄な時間を過ごしていたわけでは決してない。あの頃はまた別の衝動があったのだろう。

 

 

2019年

いつもそう思うが、ぼくらが自分たちだけで今の状況をつくれるわけではない

 

 

今、生きていられることにひたすら感謝するしかない

 

引き付けあうもの、遠ざけるもの、・・・どこかで力が働いている

 

どうか、生きたい、という心の本然に触れるものとの出会いが、今年同様、来年もありますように

 

 

切実

切実にぼくは届いているか

 

走るのが好きなのは、それがすぐに自分の限界に到達できるからだ

 

切実なところにある人は、その状態の自分につりあうものが何もないことに深いため息をつく

 

そして、深く掘られた穴に入りたい、と思う

 

どこかへ連れて行ってくれる、深い穴に