自分という気まぐれな怪物を解放する
生きている、という実感を得る
先へ進む
どこまでも
自分という気まぐれな怪物を解放する
生きている、という実感を得る
先へ進む
どこまでも
世界にたくさん散らばっている「汚しうる美」を集めて、新しい空間をつくり始める。
今やろうとしていることの本質は何か、ということを考えて、そこから空間をつくっていくことが大事だと思う。
「でも、本質って移り変わっていくものじゃないですか?」と問われる。
そう、移り変わっていく。
でも、先を見通そうとするときに、現時点での本質ってあると思う。
それは、ぼくが話を伺って、これだ!って思うことに過ぎないから、何か勘違いしているかもしれない。
でも、ぼくには、それが本質に見えている。
賛成を得られないかもしれないけれど、そこには『本気』で本質を見ようとしたことは、ぼくがやったことなので、ぼくは信じられる。
クライアントや周りの人も『本気』であることを信じてくれれば、そこから空間づくりを始めることには、意味があるとぼくには思える。
もっと言えば、本質の内容よりも向き合う姿勢が大事なんじゃないか、と思う。
その内容が後になって、もう大事じゃない、ってこともあるかもしれない。
でも、そのときには既に時間が作用してくれて、空間に次の本質が表れているんだと思う。
逃げるつもりはないが、本気で考えて変えることと、時間という自然が勝手に変えていってくれることは、スタートすればその後ずっと相乗効果を生み出していくのではないか。
今年の陽向へのプレゼントは、ギラファノコギリクワガタ。
世界最長のクワガタだ。
先月羽化したばかりの12センチくらいのオスと5センチくらいのメスのつがいが届いた。
美しいかたちをしている。オスの姿にはほれぼれする。
陽向も興奮気味だ。
が、寒いから、あまり動かない。専用のヒーターも必要だ。
世話はもう陽向に任せよう。
カブトムシと比べるとクワガタは少食だから、エサは2~3日おきでも大丈夫だから。
ぼくが30数年前にタイの東北部の村を訪ねたとき、そこには文明の利器は何もなかったが、貧困に喘いでいるわけでもなかった。
若者にはバンコクなどの都会へ出ている者もいるが、基本的には農業をして自給自足で暮らしている村だった。(村にお金を使える場所がない。)
収穫が不安定であれば飢饉も起こるだろうが、安定していれば幸せに人生を全うできるだろう。
その場所が水が豊富で、肥沃で温暖な土地であれば、そこで生きていけるのだ。
つまり自然に恵まれているかどうかで、自給自足で生きていけるかどうかが決まる。
そうでなければ、世界経済に組み込まれて、外の食べ物をモノと交換しながら生きていくことになる。
日本は自然にとても恵まれているにもかかわらず、食料の自給率が低い。
子供たちが飢えている国から見れば、もったいない、と嘆かれるだろう。
ぼくらがそれを放置しているのは、単に切迫感がないからだ。
2017年の 世界穀物生産量は年間26億トンで、76億人の人口で分けると一人340キロで、一人が必要とする穀物量160キロの2倍を超えている。
しかし、飢餓で多くの人が死んでいく現状は、世界人口の20%に満たない先進国が穀物量の大半を消費しているからだ。そのうえ、そのうちの30%を肉を食べるために家畜の飼料として使っているらしい。また、日本では輸入した食料品の3分の1が賞味期限切れなどで捨てられているそうだ。
飢餓が発生している国では、貧しさが原因で労働力を得るために子供をたくさん産む。衛生環境は悪いままだ。
そんな構図で飢える子供はどんどん増えていく。
ぼくがタイ、コンケーンの近くの村で灌漑の水溜をつくるコンケーン大学の学生たちのボランティアに参加したのはもう30年以上も前のことだが、この構図は変わっていない。
そのときも村人たちにコンドームの使い方などの教育をしていたが、富が偏る構図を変えない限り、悪循環は変わらない。
国境をなくせば、変わっていくのか?それとも、国境はこのままで変えられるのか?
1989年。デンマーク。
生きていくのは楽ではない。
それが北欧デンマークの美しい背景のもとにある生活だったとしても、そのつらさは自分の体に入り込んでくる。
スウェーデンの貧困生活から逃げて、船に乗ってデンマークへ新天地を求めてやってきた親子ラッセとペレ。しかし、求めるような職はなく、農園で安い給料で働くことになる。
年を取った父親ラッセは、日曜日に妻がベットへ運んできてくれる一杯のコーヒーが夢だが、このささやかな夢も実現は遠いところにある。
少年ペレは、アメリカへ移住する夢を持つ男エリックと一緒に2年後に農園を出ることを決意する。
やがて、エリックも事故で廃人になり、どこかへ連れていかれてしまうのを見て、ペレは、一人で旅立つ。
人間らしい生活をギリギリのところで支えるのは、未来への希望だ。
あきらめたとき、人間ではなくなる。
人はそれぞれの経験を重ねていく中で、さまざまな事象に対する構造を頭の中につくっていく。
一つの事象についての構造は皆同じものであるはずがない。
だから、意見の食い違いは起こって当然だ。
正解はないことを知る。
そのうえで、自分の中に成立した構造が世界をよくすると信じたら、それを世界へ問うていく。
そのように生きたい。
何をしてもよい時間が持てる幸せ。
短期的に実現したいことを現実化できるかどうか、は、そのための協力者に恵まれるかどうかにかかっている。
つまり、協力者にたどり着くまでの根気と運があるかどうかにかかっている。
長期的に実現したいことは、とにかく根気だ。執念と言い換えてもいい。
今日は、陽向の成長の道標のひとつ、走ろう会だった。
結果は、4、5、6年生男子の部で30位。とりあえず、何人参加したかは置いておこう。
特筆すべきは、陽向が知っている子2人に勝ったこと。今までスポーツでずっと負け続けていた人生に終止符を打てた。
1キロ5分23秒ペースでゴールできた。この記録から、彼が最後まで本気モードで走れたことが分かる。
2年前は、ほとんど歩き通したのだから、この成長は大きい。