松本人志が話題になっている。若くして「自分は成功した」と思ってしまった人間のひとつのパターンではないか、と思う。
つまり、松本人志が特別なのではないのだろう。自分が若くして地位も名誉も手にしてしまったら、同じことはしないまでも、相当傲慢な人間になっただろう、と思う。
ぼくが今までずっと闘い続けて来れて、たぶんこれからも闘い続けていくことになるのは、そういった意味での成功がなかったからだ・・・と書くとただの自己肯定か自己弁護にしか見えないだろうが、まあ間違いではないだろう。
自民党幹部たちの裏金問題も、似たようなものだろう。
すでに成功した、と思っている人は、守りに入るしかない。最初の志はどこかへ消えてしまう。よっぽどの賢人でない限りはそうなってしまうのが人間ではないか?
この一般的に「成功」と呼ばれる状態を捨て去って、一から新しいことを始める人がいる。一緒にSOTOCHIKU&89 unLtd.をやっている佐谷恭さんはひとつの典型例だ。
志の高さでは負けないように、これからも愉しく生きていきたい。
成功したかどうか、なんて、まあ、どうでもいい。