書くことはスリリングで、結局、白黒どっちにたどり着くか、最後まで分からない。
文脈に従って、右へ左へ迷路のように進むだけで、進んでいる間は、生きている実感が持てるのだ。
実は、たどり着く結果は重要ではない。
それは、時と場合によって、簡単に逆転するものに過ぎない。
だから、結果はカタチにならない。
カタチにすべくは、ぼくにどっちに行くかを判断をさせる何かだ。
そうでなければ、カタチが他人を動かすものにはならないし、カタチにする意味もない。
書くこととカタチをつくることの関係性とは、こんなものだと思う。