gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

車の旅6日目(吉野川ー亀山サンシャインパークー名古屋・天然温泉アーバンクア SPA & LIVINGー名古屋城)

そろそろ家族に疲れが出てきているのを感じて、今日は頑張って東京まで帰った方がよいか、と思いながら目覚める。

 

吉野川の河畔へ。たっぷりとした水をたたえる川は、静かでスケールが大きい。同時に、大雨が降れば直ちに氾濫してしまうことが容易に想像できる。暴れ川と呼ばれる所以だろう。白鷺やハクセキレイが目の前を飛び交う。

 

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途中で陽向が運動できる場所へ行こう、とリクエストに応えて高速道路のSAの中にある亀山サンシャインパークへ。

 

陽向と鬼ごっこをしていたら、男の子二人が「何をしてるんですか?」と声をかけてきた。一緒に遊びたいと言ってくれた。

 

中央のシンくんと左のハッチくん。二人とも足が速い。楽しかった。ありがとう。

 

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その後、名古屋の鉄道博物館へ行きたいというリクエストがあり、向かったがもう閉まる直前の時間。渋滞や道の間違いが重なって断念。ここで3人の雰囲気が極度に悪くなるが、なんとか持ちこたえる。

 

気を取り直して、名古屋の天然温泉アーバンクア SPA & LIVINGへ。風呂上がりにマンガ図書館とでも呼べそうな休憩室でフリーのコーヒーを飲みながら、先日の仏生山温泉での話の続きに。妻が「こういう新建材でつくられたノーコンセプトの場所でたくさんの人がくつろいでいるのを見ると、私たちが建築で勉強したモダニズム建築がリアルに人に対してできることってなんなのか、って疑問が湧いてくる」と。

 

モダニズム建築は洗練されていて美しいけれど、必ずしも人を自由にしない。ミースはその美しさを保つために、自分がつくった建築にオーナーが新しい家具を入れることを禁じた、といわれる。ぼくは学生時代にそれを読んだときに、モダニズム建築では人は幸せになれない、と思った。

 

ぼくは理想の空間について考えるとき、発展途上国を旅した時に感じた自由をよく思い出す。その空間にあったのは、いつも取り繕われることのない裸の人間の営みだった。

 

新建材でつくられたノーコンセプトの場所にも、モダニズム建築にも、そういう人間の営みがあればきっとぼくらは自由を感じられるだろう。しかし、そうはならない。空間とそこにいる人は一体化する傾向を持つからだ。

 

一年前に、下田の金谷旅館の千人風呂と呼ばれる風呂に入った。その歴史ある風呂は、女湯から男湯へ湯の中を通って入ってこれる、混浴である。時間の経ったものの持つ力は、現在の常識を覆すことができる。新しい計画でこんなルールは決してつくれない。

 

ぼくは、時間の経ったものの力を利用して、人を魅力的にする空間をつくりたい。SOTOCHIKUには、その可能性が秘められている。

 

こんな話をした後、名古屋城の見える公園へ移動し、眠る。