テレビと違って、ネットでは「テレビ番組の編集でカットされるような部分」をユーザーが求めている、という。
つまり、テレビは建前、ネットは本音だ。
それを知りながらも、ネットユーザーが選挙で保守を突き崩せないのは、きっと建前を見ている方が好きな人が多いからだろう。
夢を見ていたいということか。
そうなると、選挙で勝つためには、本当のことを言い続けるのは得策ではない、ということになる。
個人よりもシステムを大事にする社会では、システムを保持するために個人を犠牲にする。コロナ禍でそれが起こっていることは明白だ。
編集でカットされるような部分が持っている、ある意味での「穢れ」とも感じられる部分を清潔好きの国民は嫌いなのだ。
同じ理由で、新建材でつくられた空間を好む人たちが、現在のところ大多数を占めているのではないか。
ぼくが推進したいSOTOCHIKUはまさに「穢れ」だろう。
だが、生きるためにそれがあることを必然であると感じる空間を届けていきたい。