予定不調和は、新自由主義社会を転倒するためのカギだと信じて、ぼくらは空間づくりにそれが入り込むことを目指してきた。
思い通りにいかない、ということが試行錯誤を進めて、今までになかったものが生まれるからだ。
そうしてできあがった空間には多様性が生まれ、そこに過ごす人が何かを発見できる可能性を生む。
もちろん、<予定不調和=予定がその通りにならない>ということは、スムーズに生活していくうえでは、ネガティブなことが多い。
たとえば、検察がこれまでに起こしてきた冤罪は、罪を被せられたものにとって許しがたい予定不調和だ。それで死刑になった人がいるとすれば、取り返しがつかない。
ポジティブな予定不調和とは、自然がもたらしてくれるものであるべきで、人工であってはならない。
そして、人工が極まって組織的になってくると、反対にネガティブが極まってくる。
国家がもたらす予定不調和は、暴力そのものだ。