gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

自己紹介

田中稔郎(としろう)と申します。空間づくりの会社グリッドフレームの代表です。

 

私は京大時代に発展途上国の旅を繰り返し、ゼネコンに土木で就職した後、企業留学でニューヨーク州立大学で建築を学ばせていただきました。

 

建築の課題のプレゼンに使用する模型製作のためにスクラップヤードで素材を探す日々を過ごすうちに、出会った鉄スクラップと向き合う「予定不調和」なつくり方とスクラップヤード空間の不思議な魅力にとりつかれました。そこでスクラップを含めたあらゆるものを素材としてセルフビルドするためのシステムパーツとしてグリッドフレームを考案。

 

世の中がゼネコン危機の時代に帰国。社内では「グリッドフレーム、わけわからん」とほぼ四面楚歌状態の中、私費で開発を継続している中で、1998年ゼネコンが会社更生法申請へ。

 

やむを得ず、開発途中のパーツのみを持って独立。「さて、何を売ろうか?」から考えて、東急ハンズでシステムパーツとして売ろうとしましたが、他の素材と組合せてつくるからサンプルが必要で、まずはサンプルづくりに専念。結果、システムパーツは全く売れない中、サンプルが売れていきます。

 

パーツを売ることをあきらめ、それを使ってのものづくりで仕事を始めました。最初は飛び込み営業で、裏原宿のアパレル店の什器をつくりました。だんだん「店全体をつくってください」となって、美大卒のスタッフが加入し始めると「ネジで組んでいくシステムパーツ、かったるいです」と溶接でくっつけていく工法で自由なカタチをつくる会社へあっさり変貌。

 

スクラップとシステムパーツから離れても「予定不調和を空間に取り込む」という目標をキープするため、「創造性の連鎖」というものづくりの方法を考えました。

 

ある空間をつくるときは、基本設計→詳細設計→工場制作・現場制作という工程の流れで進んでいきます。それぞれの段階で担当者が変わっていくのですが、「創造性の連鎖」の特徴は、設計で全てを決めてしまわないで、<文章>と<雰囲気を伝えるパース>が次の担当者へリレーされて、次の担当者はある程度の決定や変更の自由度を与えられることです。

 

これにより、担当者は人知れず「失敗すること」ができます。試行錯誤は個人にしかできず、それによってしか空間の質は上がっていきません。そして、関わったスタッフ全員が活き活きとものづくりに熱中し、できあがった空間に対してそれぞれが「自分がつくった空間」と思えます。

 

この方法を用いることによって、質の高い、一人の意図によって閉じない完成度80%を理想とする空間をつくろうとしてきました。

 

しかし、クライアントとの関係性・デザイン制作期間などのさまざまな制約条件の中では、必ずしも全てのプロジェクトで質の高い予定不調和な空間を実現できたとはいえません。

 

一方、かつてスクラップヤードで経験したような予定不調和な素材を使用することは、直接的に空間に効果をもたらします。そこで時間という自然が作用した素材を集めて空間をつくれないか、と長年集め方を考え続けて、2021年に千葉県鋸南町パクチー銀行を佐谷恭さんと共同で立上げ、素材を集める活動するようになって、ようやくコンスタントに実現するようになったのが、SOTOCHIKU(ソトチク)です。

 

SOTOCHIKUは素材を寄付していただき、材料代と換金したらNPOへ寄付。ドナーは寄付控除を受けることができる、という仕組みになっています。埼玉県上里町や千葉県鋸南町の解体される家屋をはじめとして、さまざまな土地からたくさんの寄付を受けてきました。

 

予定不調和な空間の実現は、私なりに今の時代を生きる上で意味のあることだと考えています。今は、「能登地震で壊れたモノを未来へ活かすプロジェクト」を掲げて、能登と東京を行ったり来たりしながら毎日を過ごしています。