多様性の中に暮らすことを、都市生活の目標とした人だ。以下、それを生成するための4条件を引用する。
都市の街路や地区で,溢れんばかりの多様性を生成するためには,4つの条件が必要不可欠である。
1. 地区,そして,地区内部の可能な限り多くの場所において,主要な用途が2つ以上,望ましくは3つ以上存在しなければならない。そして,人々が異なる時間帯に外に出たり,異なる目的である場所にとどまったりすると同時に,人々が多くの施設を共通に利用できることを保証していなければならない。
2. 街区のほとんどが,短くなければならない。つまり,街路が頻繁に利用され,角を曲がる機会が頻繁に生じていなければならない。
3. 地区は,年代や状態の異なる様々な建物が混ざり合っていなければならない。古い建物が適切な割合で存在することで,建物がもたらす経済的な収益が多様でなければならない。この混ざり合いは,非常にきめ細かくなされていなければならない。
4. 目的がなんであるにせよ,人々が十分に高密度に集積していなければならない。これには,居住のために人々が高密度に集積していることも含まれる。 (中略)
この4つの条件は,どれかひとつが欠けても有効に機能しない。都市的多様性が生成するためには,4つの条件すべてが必要である。(『アメリカ大都市の死と生』(1961年))
この人は1969年にアメリカからカナダ・トロントへ移住し、トロントの都市開発に多大な影響を与えたらしい。
バッファローに住んでいた頃、車で2時間で行けるトロントへはよく遊びに行った。
柄谷行人は、彼女の影響があったトロントと、バッファローを比較して、1970年代には同じような街だったろうが、現在はトロントは活気に満ちていているのに、バッファローは荒廃している、と書いている。
ぼくがいた1990年代のバッファローは、きっともっと荒廃していただろう。現在は、以前よりずっときれいな街になったと聞く。
確かに、その頃もトロントとは歴然とした差があった。だれもが二つを比較すればトロントを好んだだろう。
では、上の4つの条件を満たしているのはトロントだろうか?
ひとつだけ、違っているかもしれない、とぼくは感じている。
1.の「可能な限り多くの場所において、主要な用途が2つ以上,望ましくは3つ以上存在しなければならない。」というところだ。
建築を学んでいるぼくにとって、バッファローの数多い取り残された場所は、人目を気にせず、どのような用途でも使用していい場所だった。ぼくは、古い校舎を好き勝手に占領し、傷跡や汚れを気にせず創作活動に使った。実際に、この環境でなければ、ぼくはスクラップをどんどん持ち込んだり、ドアから運び出せない大きさの模型をつくったりすることはできなかった。
バッファローの荒廃は、多くの場所から主要な用途を無効にしてしまったがために、それぞれに無限の用途を与える結果をもたらした。
バッファローにはアーティストが多かった。それは、そのような種類の人にとっては、もっとも生きやすい場所だったからだろう。
少なくとも、ぼくに生きていることを実感させてくれたのは、トロントの活気ではなく、バッファローの荒廃の方だ。