gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 レスラー

プロレスを観るのは苦手だ。流血を伴うのはもっとダメだ。

子供の頃は痛みを感じなかったし、観るのが好きですらあったが、年を重ねるごとに嫌いになった。

ちょうどそれに合わせて、プロレス中継はゴールデンタイムから深夜放送へ変わり、最後にはテレビの画面から消えていった。

つまり、私がプロレスを嫌いになったというより、時代がそれを必要としなくなったのだろう。

子供の頃、私たちの町に女子プロレスが興行にやってきた。その頃の主役はマッハ文朱で、ワクワクする気持ちで観に行ったのを憶えている。

善玉も悪玉も、同じバスに乗ってやってくる。普段は仲が良いらしい。そんな噂を抵抗なく聞いていた。そう、子供だって八百長だと知っていたのだ。

それでも、ジャイアント馬場が強いとか、アントニオ猪木が強いとか、みんな真剣に語り合っていた。大人だってそうだった。フィクションとノンフィクションが入り混じった不思議な70年代。

みんな勧善懲悪が好きだった。最後の最後には善玉が勝つのがたまらなく好きだった。「水戸黄門」や「桃太郎侍」も流行ったし、「ウルトラマン」や「仮面ライダー」も流行った。

ヒーローたちの存在価値はどこにあったのだろう。それは、ファンを勇気づけることである。時代が進むとともに、ファンの数が減り、それでもヒーローを演じ続ける者は、ただ滑稽なピエロでしかなくなった。

主役のレスラーの闘いを観るのは痛い。彼には他にできることがない。時代の移り変わりは、一生の時間と比べると速すぎる。

もし、人の一生が40年だったら、このような思いをせずに死んでいけるだろう。だが、このような思いをしなければ、彼の人生など何ものでもなかっただろう。

驚くような容貌になったミッキー・ロークは、醜くなった分、美しい。

グリッドフレームのHPへ ← グリッドフレームのHPはこちらです

人気ブログランキングへ ← ランキングに参加しています クリックありがとうございます