コの字カウンターについては、以前にも書いた。フラットな関係性とコの字の中にいるひとりの主役。主役はだれにでも入れ替わることができる。
アメリカで建築を学んでいた頃、ぼくは課題のプレゼンテーションに全力をつくした。英語で話すのが得意でない自分にとって、それが唯一の自分が輝ける場だったからだ。ぼくの留学時代が誰よりも充実していたと胸を張れるのは、建築学科のシステムに大きく依拠していたと思う。
それは、いわばコの字カウンターのシステムだった。フラットな中を生きていくだけでは、ぼくがぼくである理由を見つけられない。ときおり主役をはれる時間が保証されていれば、人間はそのために全力で生きることができる。
ぼくが身をもって知ったのは、こういうことだ。