gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

植物工場4

「植物は人間のために存在するわけではない」ということが、人々が植物工場という言葉に違和感を持つ理由だろう。

農家の作業を手伝ったことがあるが、ものすごいスピードで収穫していく様子を思い出すと、その場所が露地であろうと、作業自体は工場と変わりないかもしれない、という気持ちになる。だが、短い休み時間に、空を見上げ、風を感じ、土の匂いを嗅ぎ、ひばりの声が聴こえたりすると、僕らは自然の恵みを受けている、と実感したりする。それが、工場との違いではないだろうか。

ならば、植物工場も空間(環境)をデザインすることによって、露地栽培と同じような気持ちになれるのではないだろうか。


「東京には死がない」と言った人がいた。それと同じ意味で、今の植物工場には死が感じられない。露地には、死が感じられる。

私はここに興味がある。