gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 ノーカントリー

ノーカントリー」という映画を観た。

独特の風貌を持ち、こいつにはかなわないと思わせる力のある、無表情な殺し屋がキャラクターとして立てられている。彼が麻薬取引の金を奪って逃げる普通人を追跡し、普通人は結局死ぬ。そして、普通人の保安官が普通人を守る力のない自分を嘆く。

この殺し屋には、どうしてかなわないと思わせる力があるのだろう。大した武器を持っているわけでもないのに、彼は常に相手に対して優位を保ち続ける。彼があきらめるまで、相手は逃げ続けるしかない。

彼に殺される前に、誰もが彼に「You don't have to kill me.(私を殺す必要はない)」と言う。その「必要」は彼の中にしかない。彼自身の中にある規範によって動く者にとっては、ノーカントリー、つまり、国家などないのである。

そのような人間と戦うことになったとき、国家は自分を守ってくれないであろう。自分にも国家はない。

アメリカからメキシコへ出国のときの国境を守るはずの役人は、酔っ払いをめんどくさがって、寝たふりをして出国を許す。

メキシコからアメリカへ入国のときの役人は、ベトナム戦争の帰還兵であることのみを確認し、嬉々として入国を許す。

国境の役人ですら、自分のルールでしか動いていないのである。

この殺し屋の絶対的な優位性を、私が向かい合ったときに崩すことができるだろうか。求められるのは、精神力である。

殺された男の妻は、殺し屋と向かい合ったときに、彼が与えた生き残るチャンスに対し、「NO」とはねつける。刃向かってもとてもかなわないにもかかわらず、である。

殺し屋はここで初めてたじろぐのである。