この二つの神はアダムとイブのような存在だろうか。日本における夫婦の原初的なイメージかもしれない。
この夫婦が日本列島を生んだ後、イザナミが火の神を産んで死んでしまい、黄泉の国へ。イザナギはたいそう悲しんで、黄泉の国へ行き、イザナミを連れ帰そうとするが、そこでイザナミとの「見てはいけない」という約束を破ってしまったがために、却ってイザナミの怒りをかって、この世へ逃げ帰る。
そのときにイザナギに逃げられたイザナミが「あなたがこんなことをするなら、この世の人間を一日で千人殺してやる!」と言うと、イザナギが「それなら私は、一日に千五百人生もう」と返した、とある。
1000人死に、1500人が生まれる。こうして、毎日500人ずつ、人が増えていく。なんてドライで、マクロな視点なんだろう。人間がカイワレ大根のように急速に増えては刈り取られる。人間性のカケラもない。
だが、このやり取りをする神たちは、喜怒哀楽に動かされる、なんとちっぽけな人間性に満ちた存在か。
けれど、民衆なんて、今も昔も、国からすれば、カイワレ大根みたいなものなんだろう。
だが、この1000人、1500人という数字には、なにか意味があるのだろうか?
顔と名前が一致する限界人数は1000人ぐらいじゃないか、ということが、人間の理想的な生活に関係するかもしれない、と考えている今、奈良時代に編纂された日本最古の書物のこの数字が気になる。