理想的な旅とは、どのような旅か?
これは人によってかなり答えが違ってくるのだろう。
ぼくは名所旧跡を巡ることにほとんど魅力を感じないし、ぼくの周りにもそんな人が多い。
旅に求めるのは、外部性である。極端にいえば、見知らぬ土地で迷子になりたいのだ。
そこで見知らぬ風景に出会うのは、むしろ当然のことで、それは結果にすぎない。目的ではない。
予定不調和の世界に放り出されたい、この想いが、ぼくらを外へ連れ出す。
・・・とすれば、ぼくのような旅を好む人間にとって、最も行きたくない国があるとすれば、逆説的だが、いわゆる観光化が進んだ国だ。
観光化が進んで、安易に快適・簡単・便利にシステム化された施設には、ぼくが旅に求めているものは何ひとつないのだ。
そして何よりも、見せるためにつくられた施設(美術館、博物館、物産館など)は、その国や地域の真正性を伝えていないと感じる。
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日本も含まれる豊かな先進国と貧しい発展途上国。30年前くらいまでは、世界はそんなふうに明確に二分されていたけれど、いつの間にか、その図式はあいまいになってきて、特に日本は実質的にも相対的にも貧しい国に向かって急降下中だ。
だから、もはや日本は観光化されない方がいい、などと言っている余裕はないだろう。
大事なことは、観光化の内容を考えることだ。それを日本の真正性を伝えるものに変えていく必要がある。
その真正性を伝える空間を実現していくために、SOTOCHIKUを活用していきたい、と思う。