例えば、ティッシュペーパーに一点でもシミがついていれば、それは汚れていると見なされる。
店に並んでいる多くの商品もそうだ。引き渡しのときの建築もそうだ。さらには、ゴシップ記事によってイメージを汚された人の印象もそうだ。
つまり、汚れというものは、ちょっと付いただけでも、それが全体の0.01%であっても全体のイメージを貶める力を持っている。
言い換えれば、そう感じてしまう人間の弱さを露呈する力を持っている。
ぼくはそんな人間が嫌いだ。醜いと思う。自分はそうなりたくない。だが、そこへ逃げ込んでしまうときがある。
「観光」というとき、そこへ逃げ込む弱い人間が前提となってないか?