gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

読書遍歴

柄谷行人さんは、アメリカで建築を勉強し始めたときに、「隠喩としての建築」でしたか、このタイトルを見つけて日本から送ってもらって読み始めました。

最初の印象は、ずいぶん性格の悪そうな人だなあwと。頭の回転が本当に遅いことを自覚している自分は、切れ味のいいナイフのような文章を書くこの人にとってはきっと相手にされない存在だなあwと。

でも、ぼくにとって全く新しいものが説得力を伴ってどんどん入ってくることに圧倒されて、のめり込んでいきました。

探究Ⅱでは、「この子に限って」というときの「この」が表す単独性は、その子の性質とは全く無関係であることに強く惹かれました。

つまり、例えばれいわ新選組がよく言っている「生産性で人間の価値を測らない」というような思想にたどりつく。そんな人間に対する視線が「かけがえのない」とか「とりかえのきかない」という言葉で表されるのだと思いました。

そんな視線が成立するのは、実は「外部的」な何かに直面したときではないか、と。つまり、わが子に対する視線も内部化され、溺愛する対象としてではなく、逆に見知らぬ誰かをその中に見出すときに「この子」が成立するのでは、と。

これがグリッドフレームの空間がめざす「外部性」です。

柄谷行人さんがいなかったら、ぼくはちょっと違うことをやっていたかもしれません。

あとは森敦さん。「意味の変容」を柄谷さんが一押ししていたということで、読んでみたらはまりました。100回以上読んだ、唯一の本です。短いということもありますが、ぼくにとっては、とにかく読むたびに新しい視点を獲得できるような本です。

先も書いたとおり、ぼくはゆっくりしか考えられないタイプなので、多読ではありません。上記二人のインパクトが強かったので、全く読まなかったわけではないですが、はまった人はいませんでした。

最近は、藤原辰史さん、安富歩さんを読みます。前回の参院選以来、れいわ新選組のおかげで政治に興味を抱き、安富歩さんのYouTube番組は2年以上ほぼ欠かさず聴いており、世の中にある程度はついていけている気がしています。

参院選、この国の行く末が気になりますね。

こちらこそいろいろ教えてください。