gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

死者の眼

柄谷行人が森敦の「意味の変容」を薦めていたのが、それを最初に読んだきっかけだった。その後、100回以上読んで、今も読み続けている。ぼくにとって、唯一無二の本になった。

 

その柄谷行人が、「意味の変容」について批判的に書いた文章があり、印象に残っていた。読んだのは1990年代だったが、その後、探しても見つからず、20年以上が過ぎた。

 

新年に思い立って、入念にネット検索したところ、「終焉をめぐって」の「死者の眼」ではないか、と見当をつけて、今日届いたので早速読んだ。

 

柄谷行人の「外部」とは、突然出くわすもので、内部からは決して出てこない類のものだが、森敦の「死者の眼」に代表される「外部思考」は、内部から論理的に到達できるものとして書かれている。

 

柄谷行人が外部思考を拒絶するのはシンプルだ。そして、世界は突然出くわすものとしての外部を必要としている。ぼくは、それに倣って、「汚しうる美」やSOTOCHIKUを、もしくは、「創造性の連鎖」を空間づくりの根幹に据えている。

 

だが、「意味の変容」のそれぞれの短編に出てくるコントロール不能な人間の変貌は、論理的といえるだろうか。それは先の読めない恐ろしさに満ちている。待遇命題への移行は決して連続かつ微分可能ではない。

 

ぼくは、柄谷行人が「意味の変容」のどこを拒絶したかを確認したかったのだが、安心してまたこの本を読み続けようと思う。