gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

「なる」には二つある

ぼくは「なる」空間が好きで、そんな空間をつくりたいと常々思っている。

 

だが、気を付けなければならないのは、「なる」には二つあって、そのうちの一つはむしろ人生において最も危険なものだ、ということだ。

 

外部が入り込むことを表す「なる」。これは単独性ー普遍性の回路で何かと向かい合う状況をつくる。ぼくが絶対的に肯定している「なる」だ。

 

気を付けるべきもう一つは、共同体の中の「なる」だ。ある共同体に入ることで、その中のルールを強制されて、自分の頭で考えることなく行動するときの「なる」だ。

 

自分の意志ではないのだから、これも「なる」という思いになってしまう。

 

日本人が集団的に第二次世界大戦に向けて突進していったのも、この「なる」による。

 

今も様々な不条理が、この「なる」によってなされている。

 

ぼくらはいつも、背景に「普遍」があるか、「共同体」があるか、見極める力を必要としている。

 

背景が共同体の場合は、「自分に責任はない」と言い逃れする人が多い。公文書改ざんで自ら命を絶った赤木さんは、そんな自分を決して許さない人だった、と言える。