gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

自動詞と他動詞

ぼくはものづくりを始めてから、他動詞の「する」と自動詞の「なる」を明確に分けてきた。僕がつくったとされているモノのこの部分はそのように「した」結果で、この部分は「なった」結果だ、と。

 

そして、「なった」ものが多いモノほど、よりよいモノだという自分なりの結論を得た。

 

それと接するときに1人1人が違った関係性をつくれるからだ。

 

他動詞には人間の意志が入り込み、自動詞には人間の意志の外の何かが作用する。

 

誰かの意志によって統率された空間は、少なくとも万人を幸せにはしない。

 

ぼくはそのような空間が嫌いだ。自分がコントロールされているのを強く感じるからだ。

 

子供は誰かに強制されるのを嫌う。ぼくはそこは子供のままなのだろう。

 

日本語には、たくさんの慣用句がある。陽向の勉強のために、トイレの壁に慣用句のプリントが貼ってある。

 

先にも書いたが「腑に落ちる」の「落ちる」は自動詞で、分かることは自分ではコントロールできない。突然、ポンと分かるようになる。

 

「頭を冷やす」は他動詞で、冷静になることは自分でコントロールできることだ。

 

人間が意志を持ってやれることは何か、を慣用句は教えてくれる。

 

そして、日本語がいかに優れた言語であるかを知ることができる。