ぼくは、旅によっていろんな新しい体験をした。
では、それらの体験を自分の中で整理し、腑に落ちるところへ持ってこれたのは、果たしてどこだったのだろう?
帰国してから動かなくなってからなのか、それとも、旅の途中だったのか?
例えば、ぼくは大学院の論文の主要な部分を、フランスのピレネーの宿で書いたではないか?
定住しなければ、深く考えることができないわけではないだろう。
だが、人の都合に合わせて生きる状態だと考えることは難しい。
一日6時間以上の完全に一人の自由時間を持つこと。
例えば、深夜3時半から朝9時半まで。そうするとぼくの考えることがかたちをなして進み始めるだろう。
時間はそれでいい。では、空間はどうだろう?ものを考えるには、たぶん場所に制約はない。壊れていないコンピュータと少しの灯りがあれば十分だ。
では、質の高い空間とは、どんなときに必要なのだろう?くつろいでいるときに必要なのだろうか?
いや、たぶんこのような質問の立て方に問題があるのだろう。
普遍的な問題と考えてよいかどうかもわからない。
ただ、空間と人間は一体化してくる。気づいたのはそれだけだ。
ならば、人間はこのようにありたい、と思える空間に居るべきなのだ。
今後、その空間をいろいろと提案し、そして、つくっていきたい。