gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

漱石とカント

「私の漱石」という本に収められた柄谷行人の小論。

 

「美的判断は普遍的でなければならないとカントは言っている。」

 

しかし、だれもそれを証明できない。自分たちのローカルな趣味が普遍的であると思い込んでいる人々からは、趣味の根拠を根本的に問う者は出てこない。

 

漱石も、カントも、もしくは、ロシアのフォルマリストも、趣味を自明の前提にすることができなかった人たちだ。

 

漱石は文化的相対主義を退ける。彼は、普遍性は、素材でなく素材と素材の「関係」形式にあると考える(『文学評論』)。ここから、文学が「科学」として考察される道が開かれる。」

 

空間も素材と素材の「関係」形式に、その普遍性はあるだろう。

 

「われわれが何事かを経験するとき、あるいは何かの文章を読むとき、それを知・情・意の領域で受け取っている。純粋に認識的なものはない。たとえば、数学の証明といえども、たんに厳密であるだけでなく「エレガント」であることが好まれている。逆に、どんな情緒的なものにも一定の認識がふくまれている。それらを完全に分離することはできない。」

 

知・情・意のそれぞれを見るとき、それ以外のものを括弧に入れなければならない。カントも漱石もこのように考えた。そして、漱石は、その括弧に入れる能力は歴史的に形成される「習慣」だという。

 

ぼくは、スクラップヤードで否応もなく飛び込んでくる3つのものの在り方について、再三書いてきた。今、その3つがそのまま知・情・意に対応していることに気づく。(順序的には、意・知・情)

 

1.鉄の塊20キロ、などの「量」として見る見方。

2.元は自動車だった、という「属性」を見る見方。

3.スクラップ「そのもの」として見る見方。

 

スクラップヤードという不思議な場所を経験しなければ、ぼくは括弧入れの「習慣」を身に着けることができなかったのかもしれない。

 

 だが、この見方ができることで、例えば、店舗空間をつくるときに必要な三要素を明確に捉えることができる。

 

1.機能的要素・・・機能に関わるもの。これがなければ、営業が成り立たない不可欠要素。

2.一般的要素・・・共同体の中で誰にでも通じると思われているもの。例えば、流行っている空間に共通する表層的要素。短期的に効力を発揮する。

3.創造的要素・・・感じようとすることで発見されるもの。世界に一つの空間にする深層的要素。長期的に効力を発揮する。

 

この見方は、もっと広い領域に拡大していくことができるだろう。