オリンピックは見ていないが、羽生結弦のインタビュー記事を感心して読んだ。
この静かな佇まいのフィギュアスケート選手はとても詩的な人であることを感じてうれしくなった。
以下、彼のコメントの一部である。
「モチベーションについてなんですけど。正直な話、今まで4A(4回転半ジャンプ)を跳びたいってずっと言ってきて、目指してた理由は僕の心の中にいる9歳の自分がいて、あいつが跳べってずっと言っていたんですよ。ずっとお前下手くそだなって言われながら練習していて、でも今回のアクセルはなんか褒めてもらえたんですよね。一緒に跳んだっていうか。気づいてくださらない方も、まぁほとんど気づかないと思うんですけど、実は同じフォームなんですよ、9歳の時と。ちょっと大きくなっただけで。だから一緒に跳んだんですよね。なんかそれが自分らしいなって思ったし、何より4Aをずっと探していく時に、最終的に技術的にたどりついたのがあの時のアクセルだったんですね。
なんかずっと壁をのぼりたいと思っていたんですけど、いろいろな方々に手を差し伸べてもらって、いろいろなきっかけを作ってもらってのぼって来れたと思っているんですけど、最後に壁の上で手を伸ばしていたのは9歳の俺自身だったなと思って。最後にそいつの手を取って一緒にのぼったなっていう感触があって。そういう意味では羽生結弦のアクセルとしてはやっぱりこれだったんだって納得できているんですよね。」
誰にも少年の時の自分に背中を押されることはあるのかもしれない。そのときの自分を選ぶことはできなくて、人によってはネガティブな少年が声をかけてくるかもしれない。
でも、一生懸命生きていた自分であることには変わりないだろう。大事なことは、一生懸命であることで、人はその時の自分といつでも対話できるということだ。