持続可能性(サスティナビリティ)という言葉が環境関係の用語として使われ始めてからもう四半世紀になる。
だが、ぼくらが直面している問題としては、その意味合いが違う。資本主義に吸収されない価値。これを持つことが、新しいものを世の中に提示するときの持続可能の条件だ。
それは、本当の価値を見ようとする人が社会にどのくらいいるか、で決まるだろう。
ならば、そのような人を増やしていくことを、必ず開発と同時に進めていかねばならない。
今のままで、どんなによいものを出したとしても、持続しない。それどころか飽きられて捨てられてしまう。そして、消える。
ならば、価値を提示しない方がましなくらいだ。
啓蒙やら教育やら呼ぶとおこがましい。だが、本物の目を養うことの大切さを知らねば、何を問うても実効力を持たない。