今回の帰省は3年ぶりになってしまった。
昨年春、2年ぶりであることに罪悪感を感じていたにもかかわらず、コロナ禍の始まりで断念。珍しく一人暮らしの母から、今回は止めた方がいい、と言われたのだから、帰るわけにはいかなかった。
そのときよりも事態は大幅に悪化しているのだが、少なくとも手軽にPCR検査を受けることができるようになったのは安心材料だ。
母は3年経っても見た目は変わらない。年齢不詳は、田中家の特徴だと改めて納得。
昨年12月で亡くなってから10年経った父の墓参り。早朝からゆったりと時間をとって墓に向かい合って会話を交わした。
一方的にこちらから話している感じがしない。2日前の早朝、父から名前を呼ばれた気がして「なに?」と声を出して目覚めた。
久しぶりに聞いた父の大きな声だった。陽向の方から聞こえたから、やはり陽向は父の生まれ変わりなのか?
大津の町を見下ろす墓からの景色。父が人の営みを俯瞰できる場所を選んだのは意外だったかもしれない。でも、生前の父がグランドキャニオンを愛していたのを思うと、父は俯瞰することが好きだったのかもしれないとも思う。
ぼくは、同じ高さの至近距離で向かい合うのが好きだ。もちろん、遠くへ向かって開いている場所にいたいが、それは垣間見えるような景色の方がよい。神のようにすべてを俯瞰したいわけではない。
俯瞰すると、もうその先がないように思われてしまう。それがきっと嫌なのだ。
いつか父のために家を建てよう。死者のための家。そこに生きているぼくたちが住む。
もちろん、母もそこに住む。家とは、そんなモノであった方がよい。
生前は発想がなかったが、今ここにいない父へは明確につくりたい家がある。
不思議なものだ。