帰省して昔のものが詰まったダンボールを整理していたら、20歳の頃に旅したアフリカのものが出てきた。
その中に、ケニア山の麓の町で出会った路上生活者のオジサンが、ぼくにくれた紙の端切れが見つかった。ぼくは、学生時代にこの端切れを大事に部屋の壁に貼っていたものだ。
そこには、「人生で最も危険なものは、うらやみ、臆病、怠惰である」と英語で書いてある。
20歳のぼくは、その言葉をイギリスやドイツに支配されてきたケニアの国民について書かれたものだと感じていた。ぼく自身はそれに当てはまらない、と思ったからだ。
しかし、あれから何十年も過ぎて、今はそれを自分に向けた言葉として読める。
ある意味で、ケニアで出会った人々よりもずっとそれに当てはまるかもしれない。
まず、ぼくは臆病だ。昨夜、寝ようと寝床で横になってしばらくすると、虫の羽音がした。そのせいでいつまでも眠りにつけない。自分よりもはるかに小さな存在に脅かされている。
ぼくは人をうらやむ。人が持っているものをうらやましく思い、必要でもないものをネットで購入している。
そして、ぼくは怠惰だ。現状のシステムに任せて、自分に不都合がなければ、明らかに他へ不都合が押し付けられていたとしても、何もしない。
この社会では、人に後ろ指をさされることがなければ、自分の「うらやみ、臆病、怠惰」を反省しない。ほとんどの場合、気づきもしない。
これを、最も危険なものと話した哲学的なオジサンは、無自覚のうちに世界は滅ぶ方向へ向かっているのを感じていたかもしれない。
かつては軍人だったが、今は路上生活をしていると彼は言ったように思い出される。身を落とした、とは言っていない。彼の態度は、常に堂々としていた。
軍人のときに、何かに気づいたのかもしれない。
うらやみと臆病と怠惰は、たぶんつながっている。すべては、対象に向き合おうとしないことに関係している。
ぼくは、対象に向き合うことを目標とした仕事をしているという自負がある。
ぼく自身が対象に向き合えていないことを感じながら。
もう会うことはないであろう彼に向けて、ぼくは語りかける。