gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

人間がつくるものはたかが知れている

商業地域の表通りを歩くと、人を幸せにしたい、という建前や本音が交錯してカタチをなして、ぼくらに語りかけてくる。それぞれの店の一生懸命が、そのカタチをつくっているはずだ。これ以上はできないくらいに。

 

だが、それらはぼくを幸せにしない。

 

初めて見たときに、何か心が動くことはある。・・・しかし、長続きはしない。次に見たときには、感動は半分になり、その後もそれを繰り返し、やがて何も感じなくなる。

 

1960年代、70年代は、この国にとって幸せな時代だっただろう。人々は、人間がつくるものが素晴らしい未来をもたらすことを信じていた。だが、どんなものにもすぐ飽きてしまう自分たちを発見してから、その夢は急速にしぼんでしまった。

 

町の姿は、それを端的に表している。時代が進むにつれて、どの町へ行っても同じ空気しか感じられなくなってきている。だから、ぼくはもう何も感じなくなってきた。

 

少なくとも、それらはぼくを幸せにしない。

 

ぼくはつくづくこう思う。

 

「人間のつくるものはたかが知れている」

 

 

 

・・・表通りから横道へ逸れてみる。

 

少し空気が違ってくる。そこで、もっと小さな横道へ逸れてみる。

 

汚いものが目につき始める。同時に、・・・温かいものも心に入ってくる。そこでは表現らしいものは薄れてきている。ただ、人間の息遣いが聴こえてくる。

 

その空間は、太陽や風雨に晒されて、最初に人間がつくったカタチを留めていない。

 

ぼくは、確実に何か感じるに値するものを感じ取っていることに気づく。

 

 

 

 

新しくつくる空間に、その要素を与えたい。

 

ずっとその方法を探してきて、今やっとたどり着いた。