人間が、「私」という自然が持つ力をこの世界で発揮するには、どうすればよいか?
人と人との関係の中で、または、集団と集団との関係の中で、さらに、集団と人との関係の中で、「私」の力が損なわれることなく、十分に発揮されるためには、どのような集団をつくればよいのか?
そして、どのような空間をつくればよいのか?
たぶん、多くの人が、自分が自分の人生のある時期に過ごした空間を理想として生きているのではないか。その人にとって、それ以上の空間など必要としない。
その思い出の空間は、誰かが最初につくって以来、さまざまな自然が作用してできた多様性を含み込む空間だろう。
ぼくたちは、空間をつくることを仕事にしているが、むしろ、できるだけつくらないようにつくることで、そこで過ごす「私」の力は発揮されるのだ、というのが答えだということを知っている。
つくらないようにつくる、とは、そこに外からのたくさんの自然が作用するようにつくるということだ。
矛盾のようだが、だからこそ、ぼくはぼくの自然の力を信じてつくる。それは、その空間特有の小さな物語をものして、それをかたちにすることだ。そうすることで、たくさんの予期できない自然がなだれ込んでくる。
多様な「私」というものを保証することをパブリックというのなら、もっともやってはいけないことは、ぼくの自然を殺すことなのだから。