ぼくが1998年にグリッドフレームを立ち上げたときは、システムパーツを売る会社を目指した。東急ハンズにそれを置いてもらったこともある。
システムパーツと身の周りで手に入る何でも組み合わせることができて、DIYで家具から家までつくれてしまう、というものを売り出そうとしたのだ。
しかし、そのパーツで何をつくれるかを示すためのサンプルをつくっていたら、パーツよりもサンプルが売れていくようになった。
では、「自分たちでものをつくるしかない」とものをつくり始めた。パーティションや棚、テーブルなど、さまざまなものをつくり始めた。
つくっているうちに、段々とシステムも進化して大規模なものをつくっていけるだろうと考えた。
興味を持って入ってきてくれたスタッフがアパレル店に売り込んでくれて、アパレルの装飾的な什器をつくれるようになった。
だんだん、「つくってほしい」と言ってもらえるものの規模が拡大していった。
店全体をつくってほしい、と言われて、最初はシステムパーツだけで対応していたが、そのうちにパーツのみで対応することの難しさも感じ始めた。
ちょうどそのタイミングで、店舗をつくった経験のあるスタッフが入ってきたために、システムパーツからは急速に離れていき、「外部性を内部へ取り込む」というコンセプトをキープしつつ、店舗内装の仕事へ没入していった。
その過程で失われたものがある。
それはシステムパーツならば、思いついたらすぐにカタチにできた、ということだ。途中に、長い計画期間が必要となった。
基本設計の後に、詳細設計図や施工図が必要になった。
システムパーツならば、基本イメージ図しか必要なかったのだ。
基本設計は、創造的行為だ。だが、それ以降は、そこに創造がないわけではないが、創造性よりも正確性・迅速性に重きが置かれる。
「創造的なことしか、したくない。」そのつもりで始めたにもかかわらず、それぞれのスタッフが大半の時間をそれ以外に使わざるを得ないシステムの中にいることになった。
今、失われたものを取り戻すためのシステムづくりを急ピッチに進めようとしている。
ぼくらがぼくらでいるために。