1945年3月に始まった東京大空襲は、76年前のことだ。
今日は、初めてのSOTOCHIKU散歩の取材のため、亀戸の町を歩いたが、古い建物があるかないかの境界は、東京大空襲だということを実感した。
焼け残った集落は今も迷路のような道とともに残っている。そして、焼け落ちた集落は、碁盤の目に整備された道路の上に、新しい建物が並ぶ。
当時、焼け残った集落は周りから羨まれたかもしれないが、今では救急車も入ってこれない今にも崩れ落ちそうな建物が並んでいるだけだ。
けれど、全ての建物が何かを語っているように、ぼくらには見える。新しい場所に建つ建物は何も語ってはくれない。
ぼくらは、この焼け残った集落を探して歩くだけだ。