2012年。吉田大八監督。
以前から、このタイトルが気になっていた。観るまでに、9年もかかったとは。
観終わった後の清々しさと、与えられる勇気。これはなんだろう?
自分の高校時代を思い出したからだろうか。そうそう、こんなタイプの面々が確かにいた。
ぼくがどのタイプだったかははっきりわからないが、帰宅部、体育会系、文科系のお互いを受け入れることのない確固とした閉塞感は、高校というものがつまらない大人社会への入口であったことを示す。同時に、その脆さというか、なにかどこかに幻影を見るような不確かさは、きっとその感覚を「持続する者」と「捨て去った者」との差が大人社会へ突入する中で大きく分かれていく鍵だったのだろうと振り返らざるを得ない。
この映画に出てくるどの人間も、なんらかの幻影に動かされている。その対象は、桐島だったり、ゾンビだったりさまざまだが、幻影であることに変わりはない。
ぼくは明らかになにかの幻影の中にいたが、いなくなった桐島を追いかけない方にいただろう。そして、正直なところ、高校生活を懐かしく振り返る心を持っていない。懐かしいのは、小学校時代と大学時代だ。上述の幻影を振り返る感覚が、あまり心地よくないからだ。
したがって、繋がれる親友もそこにはいない。決して嫌いではないが、わからない、理解し合えない者たちの顔ばかりが浮かぶ。(ぼくが転校生だったことも一因かもしれない)
確かなことは、ぼくは「持続する者」であったことだ。わからない、わからない、と心でつぶやきながら、ときには、叫びながら、ここまで生きてきた。
言ってみれば、そこは高校生のまんまだ。ここまで来たら、たぶん、死ぬまで持続していく。
そして、今見えている視界の中では、未来の可能性はそこにしか見いだせない。あとは、全て捨て去っても構わない。