ぼくが育ってきた時代は、テレビ全盛期で一億総中流と言われた時代で、ほとんどの人が自分は幸せだと思っていたように思う。
ああ、あの時代はよかったなあ、と思い出す人が多いと思う。テレビから発信されるような家族の団欒が、それぞれの家にもあった。全員で食卓を囲んで、明るい会話が飛び交う。
ぼくの家もそうだった。その典型ともいえるかもしれない。
理想郷とは、そんな世界なのか。
社会を意識することもなく、自分の興味を追いかけた。それができる時代だったはずだ。
だが、ぼくはぬるま湯に浸かっていると感じていた。どんな興味も薄っぺらい。全身で追いかけるべき目的が見えない、と。他人と同じものを追いかけるために、ぼくらは生まれてきたわけじゃない、と。
中学・高校時代は、そんなわけで鬱々としていた。表面に出ていたわけではない。うまく振舞うこともできた。そして、それも嫌悪していた。それでいて、余裕を失うほどでもない。
ぼくが不満を言うときは、ぼくは大丈夫であることをぼくは知っていた。
No problem is problem.
But, no problem.
このループの中にいた。
理想郷とは、実はそんなものかもしれない。