gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 ウォッチメン

 

2009年。アメリカの人気コミックを映画化したSF。

 

この手の映画はあまり見ないけれど、ストーリーの結末がぼくの高校3年生のときに考えたことと同じだったことに驚いた。

 

なぜ2009年に、1980年代の米ソ冷戦を背景とした映画がつくられたのかわからないが、あの頃はきっと核戦争で世界が破滅するという危機感が世界中に広がっていたのだろう。

 

ぼくも米ソのケンカをやめさせるには、宇宙人が地球を攻撃するふりをするのがよい、と考えていた。この映画の結末は全く同じだった。

  

首謀者エイドリアンは超人となったジョンに濡れ衣を着せる。結果を見て、ジョンは納得するのだが、エイドリアンは最初から皆に計画を話せばよいのだ。わざわざ裏切る必要はない。

 

「争いを止めるには、第三者がもう一段階大きな争いを仕掛けるとよい」

 

 実は、これはグリッドフレームが、生きるためには「外部性」が必要だ、と主張しているのと同じ構造かもしれない。

 

もしくは、人類が神を必要とするか、という問題にも通ずる。

 

あの頃は、米ソという拮抗する二つの力をどのように抑止するか、という問題だったが、今の争いはあの頃ほど単純な構造ではない。

 

許すか、許せないか?構造自体を憎む人間の内部にまで入り込んだ闘いだ。

 

システムが必然として孕む暴力性。人類は、途方もない何かを敵と認識し始めている。