gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

パブリックな空間

人が集まる空間なら何でも「パブリックな空間」と呼んでいいと思う。

 

「多様な『私』というものが保証されるのが、パブリックという空間」であるならば、ぼくらがつくる空間がめざすことは、多様な「私」というものを保証することだ。

 

これまで、自分が過ごしてきた空間で、京都のバー「白樺」がそうだった。

 

網代の小料理屋「秀子」がそうだった。

 

建築を勉強した場所、SUNYのクロスビーホールがそうだった。

 

「私」でいられる場所。それを保証してくれる寛容。

 

ぼくが懐かしく思い出す場所は、そんな場所だ。