美術館やギャラリーがホワイトキューブと呼ばれる白い箱になったのはいつからだろう?
ウェブで探すと、白を純粋な色としたドイツ・ナチスが美術品の展示の背景を白い壁に変えた、とある。また、ニューヨークのMoMAで、作品数を極端に減らした現在の視覚的インパクトを最重視した展示がなされるようになった、そうだ。
https://gigazine.net/news/20170131-white-cube-art-world/
だが、社会的背景と切り離したこのアートの展示は、アートのありうべき姿なのだろうか。
千田泰広さんの美術館での個展に伺ったときに、ヨーロッパの古城や古い教会のような歴史を感じられる空間で展示したい、とおっしゃっていた。
海野次郎さんの個展も、都心に残る古民家など、稀有な場所を選んで開かれている。
そして、先日、行った森美術館の塩田千春展などは、ホワイトキューブは完全に作品の本質を感じさせない方向に働いていると感じた。
ぼくは、ホワイトキューブに否定的だ。
物販のお店をつくるときに、ギャラリーのようなお店をつくってください、と言われることがあるが、その意図が商品一つ一つを大事に見てほしい、ということであれば、ぼくは間違っている、と思う。
自分たちの生きている社会と切り離されたところに、本物など存在しない。
とりあえず、仮に社会と切り離された場所があって、という仮想現実がホワイトキューブだ。
自分の血となり、肉となるアートとの出会いは、そこには成立しない。
多様な「私」というものが保証されるのがパブリックな空間なのだから。