バブル崩壊を境に、日本から失われたものをぼくの表現で言えば、それは「過剰なもの」だと思う。
別にバブルのときがよかった、といっているわけではない。バブルの前だって、過剰なものはぼくらの周りにふつうに存在していた。
だが、バブル崩壊とともに、それはあとかたもなく消え去った。
それが客観的に存在していたものであったかどうかは知らない。
だが、少なくともぼくの心の中には、過剰なものが巣食っていた。
そして、そのまま、アメリカへ渡ったぼくは、1996年に日本へ戻ってきたときに、過剰なものがみんなの心から消え去っていることに愕然としたものだ。
ぼくはこれからもずっと、玉手箱を開けない浦島太郎でいようと思う。