ぼくのレベルが知れて恥ずかしいが、自分にとっては発見があったので、つまらないことをくどくど書いてしまおうと思う。
先日の演奏会5分前にギターの調弦を試みたら、うまくできなかった。
日頃ひとりでギターを弾いているため、ぼくのギターは標準の調弦とは2音低めになっていても気にしていなかった。つまり、2カポで弾くと他のギターとおおよそ音が合うのだが、カポをつけるだけで多少音があやしくなるので、この際、標準通りに音を合わせようと思ったのだ。
微調整は日頃からやっていたので自信はあったのだが、実は6弦とも触るのは数年ぶりのことだった。
ぼくは最初の判断で失敗していた。カポを外したら、2音上げなければならないのに、逆に下げなければならないと思い込んでしまったのだ。
そうなると1オクターブ下げて調弦を終える結果に理論上はなるが、実際は弦が緩すぎて音がならなくなる。
もう演奏会の時間になってしまい、そんなときも顔色は変わらないぼくだが、内心パニック状態だった。そこで、恥を忍んで、一緒に演奏するもっちゃんパパに調弦を頼んだ。
体を動かして何かをするときはいつも、「知識」と「感覚」をもとに行う。いつもやっていることは、すでに知識を必要としない。感覚を覚えている体が勝手に動いて、やすやすとこなしてしまう。
車の運転で、アクセルとブレーキの操作をいちいち知識を確認しながら運転していたら、あぶなくてしょうがない。
他人のことを、「話したらよくわかっているのに、どうしてうまくできないんだろう」と不思議に思うことがあるが、自分がこんな簡単なことをできなかったことでようやく理由を理解した。
知識を確認しながら体を動かせば、ひとつの誤った思い込みで簡単に迷路に迷い込んでしまうのだ。
「考えながらつくる」を標榜するぼくたちだが、日頃から精進して、体が勝手に動いてくれなければ、つくる途中で新たなアイディアを失敗することなく導入することなどできるわけがない。
考えれば誰もが直ちにつくれるわけではない。