日常的に見慣れた事物を奇異なものとして非日常化・異化するための方法が探究の主題。1910年代〜30年代のロシアの文学運動。
あらゆるものを素材として見ることを創造の原点とするグリッドフレームのコンセプトは、ほとんどロシア・フォルマリズムを説明する上記の文章と同じことを言っているようにも思える。
ひとつの事物からたくさんの意味を見い出すのであるから、統治する側からは不都合であり、トロツキーに批判され、スターリンから徹底的に弾圧を受け、消滅する。
逆にいえば、それだけ影響力を認められた、ということだ。
この運動の成果は、地下水脈として世界をめぐり、1960年代の構造主義で劇的に再評価を受けることになったそうだ。
国民生活にどのくらい入り込んでいたのかはわからない。それは、どのくらいその文学がどのくらい面白いものなのかに因るだろう。
そして、内容よりは形式が問題となる文学が、いったい面白いものなのかどうか、を読んだことのない私にはわからない。
今後、その作品に触れてみたいと思うが、あまり期待はしていない。
だが、その目的は、人間ひとりひとりを一回限りの交換不可能な存在として見ようとすることにあると思われ、そこに強い共感を覚える。
本質的で、徹底的でありながら、一方で多くの人にとってわかりやすく、面白いものであることを私たちはめざしている。
ロシア・フォルマリズムもそれをめざしたのかもしれないが。