gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 さや侍

2011年、松本人志監督。

妻に先立たれて以来、脱藩し刀を捨てて鞘しか持たない侍。幼い娘と一緒に逃げ回る毎日。

なぜ鞘を持ち続けるのか?鞘を捨てれば、完全に侍ではなくなってしまい、もう何者でもなくなってしまうからだ。つまり、生きる屍のようでありながら、まだ彼は自分をあきらめてはいない。

やがて捕えられた彼は、「30日の行」という条件付きの切腹を言い渡される。
妻を失って以来笑いを忘れた彼が、母親を失って以来笑いを忘れた若君を笑わせるために、一日一芸を繰り返す30日の行。若君が笑えば、そこで無罪放免だ。

彼は30日の行に全力で臨む。その理由はどこにあったか?

無気力な若君を立ち上がらせるまでに至った30日め。それに感動した殿様から、特別に、切腹の瞬間まで、笑わせるチャンスを与えられる。周囲の誰もが、彼は赦されると信じていた切腹の日。彼は、おもむろに刃物を腹につきたて切腹する。そして、介錯を制止し、その刃物を血だらけの手で自分の鞘に納める。

彼が30日の行に全力で臨んだ理由は、真の侍としての見事な最期を娘に見せるためだった。

娘は父をただのさや侍として死なせまいと努力し、父は娘のためにただのさや侍としては死ねないと努力する。ただ、2人の違いは、娘は父をさや侍でない「人間」として生かそうとしたのに対し、父は娘のために「侍」として死のうと決断したことである。

「自分=侍」にこだわることこそ父の生き様である、と監督はいいたかったのだろう。

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