gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

児童公園

メレンゲunderworldという曲に

懐かしい場所へ 帰ってきた  意味もなく立ち寄った公園

そこは ブランコと滑り台だけ  どこにでもある公園

という歌詞が出てくる。

その通り、児童公園とは子供の頃に育った懐かしい場所の象徴的な存在だ。

だが、これだけいろいろな遊びが変化してきた中で、児童公園にあるブランコ、滑り台、シーソー、砂場などは全く変わらない。懐かしい理由はここにある。

だが、今でも子どもたちは喜んでこれらで遊ぶのだろうか?そして、未だにこれらが子供たちの遊具として最適なものなのだろうか?

たぶん、役所がこれらを管理しているから更新されていかないのだろう。役所は変化を嫌うから。特に、子供の遊び道具は変更してなにか事故でも起こったら、大変だ。

児童公園は、これからもよっぽどのことがない限り変わらないだろう。誰も遊ばなくなったとしても、少なくとも事故は少なくなる方向だし。

しかし、である。私は、この決して変わっていかない児童公園が大好きである。これだけ貶しておいてなんだが、なんて詩的な存在なんだろう。

最初の歌の通りだ。懐かしい場所へ帰ってきて、意味もなく立ち寄ってしまうのが公園なのだ。

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