メレンゲのunderworldという曲に
懐かしい場所へ 帰ってきた 意味もなく立ち寄った公園
そこは ブランコと滑り台だけ どこにでもある公園
という歌詞が出てくる。
その通り、児童公園とは子供の頃に育った懐かしい場所の象徴的な存在だ。
だが、これだけいろいろな遊びが変化してきた中で、児童公園にあるブランコ、滑り台、シーソー、砂場などは全く変わらない。懐かしい理由はここにある。
だが、今でも子どもたちは喜んでこれらで遊ぶのだろうか?そして、未だにこれらが子供たちの遊具として最適なものなのだろうか?
たぶん、役所がこれらを管理しているから更新されていかないのだろう。役所は変化を嫌うから。特に、子供の遊び道具は変更してなにか事故でも起こったら、大変だ。
児童公園は、これからもよっぽどのことがない限り変わらないだろう。誰も遊ばなくなったとしても、少なくとも事故は少なくなる方向だし。
しかし、である。私は、この決して変わっていかない児童公園が大好きである。これだけ貶しておいてなんだが、なんて詩的な存在なんだろう。
最初の歌の通りだ。懐かしい場所へ帰ってきて、意味もなく立ち寄ってしまうのが公園なのだ。