1985年のアフリカ。写真はケニアのマサイマラ国立公園。どうやら、この一本のアカシアは、ほぼこのままのかたちで今も存在しているようで、いろんな人の写真に出てくる。
当時、アフリカの飢餓がよく日本の新聞に載っていた。その状況は、どうやら現在も変わらない。日本人の関心はその頃よりずっと低くなったのではないか。
その後、ソ連は崩壊し、中国は経済大国になり、アメリカでは黒人が大統領になった。おおよそ、あり得ないと思われたことが実現されてきたのに、アフリカは相変わらず、遠いままだ。
なんでも少しずつしか変わっていかないのか。突然、変わるということがありうるのか。
未来はわからない。
ただ、社会は激しい変化を求めていない、ということだけは、アフリカの旅の後、身をもって感じてきた。
アフリカは初めて自分に「個人としての自分」を見せてくれた場所だ。それは、孤独との出会いでもあった。
個人と社会は対立する。
アフリカに幸せな「社会」が訪れるとき、もう自分にとってのアフリカではなくなるのかもしれない。
アフリカは今も孤独なままだ。それを僕は複雑な気持ちで遠くから見ている。