gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

他者としてのわが子

言葉を理解しない赤ん坊の陽向は、私たちの世界のルールの外にいる。つまり、「他者」である。

言葉を理解しないからこそ、言葉ではないところで分かりあいたい気持ちが生じて、笑いかけたり、頭を撫でたり、「高い高い」をしたり、とあらゆる手段でこちらの好意的な気持ちを伝えようとする。陽向の方も、こちらへ好意的な気持ちを伝えようとしているかのように、無邪気に笑ってくれる。

現在、言葉を覚えさせようと、まずは「マ・マ」という単語を執拗に語りかけるが、陽向は困ったような顔をして、「あ〜あ〜」を繰り返すだけだ。

スムーズなコミュニケーションをとれるようになることは、望ましいことであるし、また、成長するとはそういうことだが、言葉が通じない同志の体全体のコミュニケーションは、別の意味で、最高のコミュニケーションである。

言葉を介することによって、一対一のコミュニケーションに一般性が入り込み、心のありかは、逆に見えにくくなる。

現在の陽向とのコミュニケーションのように、心をそのまま伝えようとする人間と人間の間に、本当に言葉は必要なのだろうか、と思ったりする。