gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 街のあかり

2006年。フィンランド。カリウスマキ監督。

映画の中で、男はただひたすら負け続ける。ばかにされる。仲間外れにされる。笑われる。追い出される。だまされる。カモにされる。刑務所に放り込まれる。殴られる。半殺しにされる。そのように扱われる理由が彼自身にないわけではない。・・・だが、いい奴である。

負け続ける彼に対して、神は手を差し伸べない。彼を散々利用して儲けたロシアのギャングたちは、懲らしめを受けない。

ほとんど、そのまま話は終わる。ホットドッグ屋のお姉さんと、飼い主に餌を与えられない犬と、天然パーマの黒人少年だけが彼の味方だ。ほんのささやかな味方だ。みんな社会的弱者だ。でも、きっと、それが「街のあかり」だ。

彼は笑わない男だ。その彼が、映画の中で一度だけ笑う。それは、無実の罪で入ることになった刑務所の中だ。リラックスした、いい笑顔である。

つまり、この映画は、逆転している。彼は、彼にもたらされた現実をそのまんま引き受ける。進んで引き受ける、といってもよい。進んで引き受ける以上、彼は自身を負け犬だとは決して思わない。

森敦の「意味の変容」に、「大小はただ外部から見て言えることであって、内部に入れば大小はない」という一文がある。彼にとって、外から見た大小や勝ち負けなど、存在しないに等しいのである。